

シゴトとワタシ~私のキャリアノート~第6回 「目標を決めるより、流れに身を任せたほうがうまくいくように」渡部和泉さん
女性の人生は大人になるほど選択だらけ。シゴトを続ける、続けない。結婚をする、しない。出産をする、しない。そして、生き生きとシゴトを語る人をみると「今のシゴトはワタシに合っているのかな…」と考え転職する、しない。そんな選択を繰り返しながら、今、笑顔でシゴトを続けている女性たちにインタビュー。
第6回目はフードコーディネーター・カフェライターとしてフリーランスで仕事をしている渡部和泉さん。好きなことをやっていたら、どんどん仕事が広がったという彼女のキャリア。一見、羨ましいほど順調な経歴ですが、その根底には揺るがない信念がありました。
■プロフィール
渡部和泉(わたなべいずみ)45歳
フードコーディネーター・カフェライター
短大の家政科を卒業後、大手漢方薬メーカー、自然食品宅配会社などを経て独立。現在、雑誌や広告、WEBなどで料理・お菓子のレシピ作成、調理、スタイリングを行うフードコーディネーター兼カフェライターとして、多数の著書を出版。月1回だけオープンする完全予約制の薬膳カフェ「cafe mel」のオーナーシェフでもある。夫、6歳の娘と3人暮らし。休日は家族3人で出かけたり、友達家族とホームパーティーをして過ごすことが多いそう。
■生産者との出会いが今の仕事を始めるきっかけに
――「食」を仕事にされている方は幼い頃から料理が好きな人が多いですが、渡部さんもそうですか?
まさにそうです。アレルギーを持つ兄弟がいたので母が自然食品にこだわった料理を作っていて、幼い頃から手伝いをしていました。お菓子も市販のものはほとんど買ってもらえずに母が作ったお菓子ばかり食べていたので、子どもの頃から体にいい食材や栄養を生かす調理方法が刷り込まれていたんだと思います。
――とても贅沢な食環境ですよね。その影響で学校を卒業後は漢方薬メーカーに就職したんですね。
子どもの頃から母親のすすめで漢方薬を飲んでいたので興味があったんです。それで大手の漢方薬メーカーに入社したのですが大きい企業ということもあって、自分の仕事が誰かの健康に役立つことと結びつけられなくて…。もっと身近な食の方面からアプローチしたいと思い、3年で退職しました。
――大企業あるあるですよね。退職後は何を?
海外の食文化を自分の目で見たくて、1年ぐらいヨーロッパを周りました。アイルランドの料理学校に通ったり、地元の市場やカフェに行ったり。当時、日本はチェーン店のカフェが主流だったのですが、海外は個人のアイデンティティが見えるお店が多くて、いつか自分もこんなカフェをやりたいなと思いました。
海外の食文化に触れることで、やっぱり食を仕事にしたいという気持ちが強くなり、帰国後は自然食品の宅配会社に入社。小さな会社でしたが、開発や企画、カタログ制作などいろいろなことをやらせてもらえました。カタログ制作では、扱う食品をいかに魅力的に見せるかフードコーディネーターやフードフォトグラファーの方と一緒に考えて撮影して。この会社で初めてフードコーディネーターという仕事を知りましたし、コピーライティングの仕事も始めたんです。
――渡部さんが今の仕事に進むきっかけになったんですね。
そうなんです。この会社で知り合いになった方から独立したときにライターの仕事をいただいたりしたので、退社後もご縁がいろいろありまして。ここで2年、自然食品のことを学んだ後、もっと詳しく知りたいという欲求が出てきて某自然食品宅配サービス会社に転職。前職同様、自然食品の宅配サービスを行う会社ですが、より無農薬や無添加にこだわっており、扱う食品に対して厳しい基準を持っていたので、そのポリシーを学びたいと考えたんです。
――成長のための転職は、なかなかできないからすごいと思います。実際に学びはありましたか?
当時は基準がとても厳しくて、表記しなくてもいい原材料にも国産のものを使ったり、包材もリサイクルできる素材を使用したりと、とにかくこだわっていて驚きました。でも、この会社で一番学んだことは生産者たちの思い。こだわった食品を作る生産者たちと会って話しを聞くと「良い食品を広めたい」「食で日本の未来を良くしたい」と強い信念を持っている方が多く、いつしか自分も作り手に回りたいと思い始めました。そんな生産者さんの思いを会員様向けの会報誌で私が取り上げると、ちゃんとその商品が売れるんです。このとき、言葉の力はすごいと実感しましたね。
――前の会社で始めたことが、転職後、もっと深いところまで学べて仕事のおもしろさを感じられるなんて理想的なキャリアの積み方です。
もちろん大変なこともありましたよ。そこまでこだわりの強い会社ですから、商品企画から流通するまで時間もかかりますし、各部署から何度もダメ出しをされますし(笑)。でも、この会社で作り手になりたい意欲が湧いて、料理学校の「ル・コルドン・ブルー」で学ぼうと決意。働きながら土日に通っていましたが、休日出勤もあったので兼ね合いが難しく「どうしようかな…」と悩んでいたところ、渋谷でバーを経営している知人から「金・土曜の昼間だけバーの店内でカフェをやってみない?」と声をかけられました。それで、カフェと学校の二本柱で生活してみようかなと考えたんです。
■無知だったからこそできたカフェ本の出版
――ナイスタイミングで声をかけられたんですね。でも、会社を辞めてまったく経験のないカフェ経営で生計を立てるのは不安ではなかったですか?
お店はすでにあるので、開業資金はいらないですし、賃料も友達価格で安くしてもらえました。正直な話、間借り感覚でしたから、賃料が払えるぐらいの売上があればいいと思っていたので「自分が楽しむためにやる」程度の気軽な気持ちで始めたのですが、収入は不安定で、貯金を崩しながらの生活。将来への不安は多いにありましたが、今は準備期間だと自分に言い聞かせていました。同時に、先程話した制作会社の人から「会社を辞めたならライターをしてみない?」と声をかけられて食に関する広告やチラシなどのライティングもするように。この頃は、カフェブームでしたので、カフェの取材が増えるにつれて、自分のお店のお客さんも徐々に増えてきました。
実はこの取材が大きなターニングポイントになったんです。取材に来たライターさんに「今後の目標はありますか?」と聞かれてなんとなく「カフェのレシピ本とか出せたらいいですね」と軽く答えたら、そのライターさんに「企画書を書いて出版社に持っていけばいいんですよ」と言われて。その言葉を真に受けて、電話帳で出版社を調べて電話をしたらなんと1社目の出版社で企画が通ったんです。
――すごい!相当、緻密な企画書だったんでしょうね。
いえいえ、まったく(笑)。たまたま担当の方が、カフェのレシピ本を作りたいと思っていたそうです。本づくりの経験もないですし、料理のスタイリングもしたことなかったのですが、スタッフの皆さんが助けてくださったおかげで仕上げることが出来ました。今、考えたら「無知って怖い」という感じですが。
――でも無知は強くもありますよね。
そうかもしれません。カフェ本を出版したことをきっかけに料理雑誌から声がかかってフードコーディネーターの仕事がきたり、カフェ専門誌でコラムの依頼があったりと、少しずつ仕事が入ってきました。これが30歳のときで、そこから15年そんな感じで仕事が続いているような状態です。ちょうどこのとき、バーのオーナーが故郷に帰るので、カフェは閉店してフードコーディネーター兼ライターとして独立しました。
――とんとん拍子すぎて驚きます。でも、15年も仕事が途切れないということは絶対に理由があるからですよね。客観的に考えて何が理由だと思いますか?
いただいた仕事は真面目に誠実に向き合うことでしょうか。期限を守るとか準備を怠らないとか最低限なことではありますが。もともと小心者で緊張しやすいので、事前に準備しておかないと不安で寝られないタイプなんです。翌日、フードコーディネーターの仕事があるときは下ごしらえや使用するアイテムの整理など時間をかけて準備しますね。
――とことん準備してしまうのは、きっと、渡部さんの性格もある気がします。
確かに、子どもの頃から夏休みの前半に宿題を終わらせていましたし、テスト前に一夜漬けも絶対にできないタイプでした。不器用なので、事前にコツコツ取り組んでおかないと不安なんですよ。
――なるほど。旦那さんもフリーランスということで、ご結婚はいつ頃?
36歳のときです。お互い、よく行っていたカフェの常連客で仲良くなりました。
――仕事も恋愛もカフェがきっかけでうまく回っているとは!好きなところに身を置いているほうが人生はうまくいくのかもしれませんね。
それはあるかも…。好きなことをしているときのほうが楽しいですから。
――単純明快な回答ですが、真理かも…(笑)。とはいえ、好きな仕事でも大変なことやツライことはありますよね。
プレッシャーに押しつぶされそうなときですね。料理の仕事は現場勝負でやり直しがきかないですから、前日に不安でしょうがなかったり緊張してしまったり。そのために準備をしっかりするんですけれど。それでも現場に入る前はいつも緊張します。ただ、入ってしまうとやるしかないので腹をくくりますが。
■出産後はワークライフバランスを重視するスタイルに変化
――渡部さんは娘さんがいらっしゃいますが、育児と仕事の両立はどうバランスをとっているか気になります。
39歳で出産して保育園を見つけるまでの1年は育休をとりました。家を空けずにできる執筆など負担がない仕事はたまにやっていましたが。ただ、育休中も仕事がしたくてたまらなくて(笑)。育休を経て、改めて自分は仕事が好きなんだなと実感しました。
――とはいえ、出産前と同じペースで仕事をするのは難しくなかったですか?
仕事量は減らしました。子どもが帰宅する17時以降は仕事ができないので、そうなると準備時間も削られます。クオリティが下がるとオファーに影響がすぐに出る仕事ですから、短時間に集中して仕事に取り組むようにしています。
――仕事を長く続ける中で、仕事への考え方や取り組み方は変化しましたか?
20~30代前半は「仕事はこうでなければいけない」と決めつけていた部分がありました。目標を立てて、そこに向かって邁進することが仕事であると考えていたので。でも、年齢を重ねてライフスタイルが変わっていく中で、流れに身を任せて受け入れるほうが仕事はうまくいくと思うようになりました。40歳を超えると育児や高齢になる両親の問題などいろいろなことが出てきます。そんなときに目標を決めてしまうと、何か問題が発生して目標への道のりが遠くなってしまったときにストレスを感じたり、原因になった問題を責めてしまうかもしれない。それはツライので着地点を決めずに、いただいたお仕事を「真面目に楽しみながらやる」とシンプルに考えるようになりましたね。
――年齢を重ねたからこそ、そして仕事を続けてきたからこそ到達したシンプルな考え方でとても共感します。渡部さんは42歳で自宅カフェをオープンしましたが、これは目標ではなく、流れなんでしょうか?
完全に流れです(笑)。家を建てるなんて考えてもいなかったんですが、たまたま良い土地に巡り合えて、じゃあ1階をカフェにしちゃおうかと(笑)。国際中医薬膳師の免許をとり、薬膳を広めたい思いもあったので。ただ、本業もありますから、月1回だけ、本当に自分が作りたいものを提供する予約制の薬膳カフェをオープンしたんです。月1回とはいえ、体にいいこだわった食材と調理方法で料理するので仕込みが大変。でも、楽しいんですよね。大変でも楽しいことはできちゃうんですよ、不思議と(笑)。
■ワタシのシゴト道具
フードコーディネーターの仕事の際、現場に持っていくセット。撮影中料理が乾かないように水をつけたり、照りを出したりする筆や盛り付け箸など。食材をみじん切りにするチョッパーは手動で電源がない場所でも調理ができる優れもの。