シゴトとワタシ~私のキャリアノート~第2回 「将来を考えるよりも目の前にあることを一生懸命やってきた」梶原美穂子さん
シゴトとワタシ~私のキャリアノート~第2回 「将来を考えるよりも目の前にあることを一生懸命やってきた」梶原美穂子さん

2017/11/09

シゴトとワタシ~私のキャリアノート~第2回 「将来を考えるよりも目の前にあることを一生懸命やってきた」梶原美穂子さん

女性の人生は大人になるほど選択だらけ。シゴトを続ける、続けない。結婚をする、しない。
出産をする、しない。そして、生き生きとシゴトを語る人をみると「今のシゴトはワタシに合っているのかな…」と考え転職する、しない。
そんな選択を繰り返しながら、今、笑顔でシゴトを続けている女性たちにインタビュー。

第2回目は東京・谷中でフロランタン専門店のパティシエをしている梶原美穂子さん。30代前半までアメリカの広告代理店で働いていた彼女がなぜ、畑違いの道を選んだのか。そしてフロランタンにこだわる理由とは?

取材・文:中屋麻依子、撮影:曽我美芽
  • ■プロフィール

    梶原美穂子(かじわらみほこ) 42歳

    東京・谷中銀座商店街に店を構えるフロランタン専門店『アトリエ ド フロレンティーナ』のオーナーパティシエ。フランスの焼き菓子、フロランタンを製造販売。「そばの実&黒ごま」「焼きりんご」「黒糖キャラメル」など種類豊富。海外ラグジュアリーブランドの顧客用プレゼントの依頼や、百貨店の催事に出店するなど全国各地からオファーが入る。夫、娘(3歳)と3人暮らし。

■子どもの頃、母が作ったケーキを友達に褒められるのが嬉しかった

  • ―――梶原さんの歴史をグッと遡って聞きますと、やはり子どもの頃から料理やお菓子作りが好きでしたか?

    好きでしたね。小学生の頃から母と一緒に台所に立って夕食の1品は私が作る、なんてことをしていました。お菓子は誕生日やクリスマスなどイベントのときに母が作ってくれて。お誕生会には二段ケーキとか作ってくれるんですよ。そうすると、友達が「みほこちゃんのお母さんすごーい!」と言ってくれて、それがすごく嬉しかった思い出があります。

  • ――小学生ですでに料理で人が喜んでくれる嬉しさをふんわり感じていたのかもしれませんね。その後、アメリカに10年ぐらいいたそうですが、海外志向が強かった?

    きっかけは、大学がアメリカ・シカゴに姉妹校があり海外留学できる制度があったので「海外の大学に行ってみたい!」ぐらいの気持ちで大学3年生から2年間留学しました。帰国後は医学書を輸入する専門会社に就職。でも、アメリカでの生活が忘れられず結局、会社は1年で辞めてシカゴに行きました。

  • ――向こうで仕事はあったんですか?

    大学時代の友人が広告代理店を起業して、それを手伝ってほしいと言われていたので、ある程度、基盤がありました。その会社ではクライアントのHPなどを制作していて…。

■ホームパーティーで作った料理が大好評! 口コミで依頼が増えてきた

  • ――広告代理店とお菓子がまったく結びつかないのですが…。

    ここからお菓子が出てきます(笑)。日系スーパーからの依頼で、日本の食材を使ってアメリカ人向けにレシピを考える仕事が入ってきまして。要は販促なんですけど、私が料理好きなのを知っていた社長から「美穂子の得意分野だからやってよ」と一任されて、初めて料理を仕事にしました。

  • そしてきっかけがもうひとつ。アメリカはホームパーティーがとにかく多いのですが、社長のホームパーティーの際に、私が料理を担当したことがあったんです。そうしたら、ゲストから「今度はウチのパーティーで作ってくれない?」と声をかけられるようになって。パーティーやケータリングなどのオファーが増えてきて、フードライターなど料理に関わる仕事が入るようになったんです。

  • アメリカはデザートまでしっかり食べますから、お菓子も作るようになったんです。生菓子のほかに、おみやげ用の焼菓子も作ろうと思いついて、クッキーよりもフロランタンのほうがアーモンドが乗っているし見栄えもいい。何より“プレゼント感がある”と考え、パーティーの後に配るようにしたら大好評。向こうのお菓子は甘いものが多いので「美穂子の焼き菓子は甘すぎず、とても美味しい」と言われましたね。

  • ――そのまま、アメリカで料理を仕事にしようとは思わなかったんですか?

    料理だけでは生活ができないと分かっていたので、会社も辞めませんでした。でも、30代前半のときに、父が亡くなったり、可愛がっていた愛犬が亡くなったりとネガティブなことが立て続けに起こって、気持ちが弱くなってしまい日本に帰りたいと思うようになってきて。それで34歳で帰国しました。

  • ――30代前半ぐらいって、気持ちやメンタルが揺らぐことが多いですよね。

    そうなんです。でも、次のことを何も考えずに帰国したから、34歳で「さて、どうしようか」という状態。とりあえず料理が好きだし飲食店でバイトでもするか、と。私、2009年の春に日本に帰ってきて、その年の12月にお店を出そうと考えて、2010年の2月に『アトリエ ド フロレンティーナ』をオープンしているんですよ。

■34歳で帰国してわずか1年でお店をオープン!

  • ――えっ!? 帰国からオープンまでの展開が早すぎます!

    ですよね(笑)。自分でも帰国して1年経たずにお店を出しているなんて考えもしなかったですから。ただ、バイトをする中で、小さくてもいいから自分の店を持ちたいと思うようになっていて「お店を出すのに、どこかいい場所ないかな」と休みの日にフラフラ都内を歩いていたら谷中で、ちょうどいい大きさの空き家を発見! 近くにいたお兄さんに「この空き家を見たいです!」と宣言したら、大家さんを教えてくれたんですよ。

  • ――ドラマみたいな展開ですね(笑)。

    私、もともと計画性ゼロなんです。目標を立てて進むよりも流れに身を任せるタイプ。大学でアメリカに行ったのも、アメリカで仕事を始めたのも情熱があってではなくて「なんとなく行けそうだから行っとけ!」という感じで。

  • ――でも、お店を開くにはお金がいりますよね。資金は計画性がないと作れないですよ!

    これは父が残してくれたお金を使わせてもらいました。開店資金にかかったお金は大体400万円弱。内装も友人に手伝ってもらってお金をかけずに仕上げました。4坪ほどの大きさなので、内装もそこまで時間がかからず開店することができたんです。

■自分にとって大切なお菓子であり、商売にしてもおもしろいと思った

  • ――そもそも、なぜフロランタンだったんでしょうか。フロランタンだけだと客層も狭まるし、売上も限られる気がします。

    それは3つ理由があります。1つ目は私にとって大切なお菓子だから。アメリカ時代に「私にも作って」と言われて、料理で人と人がつながる嬉しさを教えてくれたのがフロランタンでした。2つ目はフロランタン専門店が珍しかったから。日本でも海外でも見たことがなかったのでおもしろいと思いました。そして3つ目は下のクッキー生地と上のナッツの組み合わせで無限の可能性を感じたから。自由な発想でオリジナルのフレーバーを作っていくことができるのではと期待したんです。それで「そばの実&黒ごま」や「焼きリンゴ」など、ほかの店にはないメニューを考えて、好評をいただきました。

  • ――でも、最初お店を出した場所は谷中の住宅街で人通りも少ない場所。正直、赤字になりませんでした?

    それがお店を始めてから赤字は一度もないんです。正しく言うと儲けもないけど赤字もない状態。専門店なので材料が必要最低限でいいし、ロスが少なかったのもありますね。好きなお菓子を焼きながら、女ひとり細々と生活できるぐらいの稼ぎがあれば満足だったので。

■夫の「会社を辞める」宣言にも「どうにかなるんじゃない」

  • ――ひとり暮らしを何年ぐらい続けて、ご結婚されたんですか?

    ひとりで店を始めて4年目、38歳のときに結婚しました。彼は時計メーカーのセールスをしていてマーケティングやブランディングが得意だったので、お店を出すときにいろいろ相談に乗ってもらっていたんです。でも、結婚して数ヵ月後、「会社を辞めて、君の店を大きくしたい」と言われて。

  • ――夫が会社員を辞めることに抵抗はなかったんですか!

    抵抗はまったくなかったです。「どうにかなるんじゃない」って(笑)。ただ、夫は私と性格が正反対なので、店を大きくする計画をきちんと立てていました。それで谷中の住宅街から人通りが多い谷中銀座商店街に店を移転。内装は、より商品にフォーカスが当たるようにシンプルにして、驚きの演出として和と洋をミックス。ほかにも店のロゴマークを考えたり、ギフトボックスを一新したりと、夫が得意なブランディングを全面に押し出しました。その結果、メディアなどでも取り上げられることも増えて、売上は上がりましたね。

■娘を9ヵ月で保育園に入れたときは、店を辞めるべきかと葛藤した

  • ――ここまで聞くと、かなり順調なキャリアですが、大変だったことはありますか?

    憶えていないだけかもしれませんが、大変なことが頭に浮かばなくて…。しいて言えば、移転して1ヵ月後に妊娠がわかり、休まないといけない状況と休んでいる場合ではない現実に板挟みになったことでしょうか。娘を出産後はお店にベビーベッドを置いてお菓子を焼く傍ら、子育てをしていました。これができるのが自営業のいいところですが…。9ヵ月で保育園に預けたんですけど、自分たちのエゴのために、こんな幼い娘を預けていいのだろうかと葛藤することもあって、何度も店を辞めようと考えました。

  • ――でも、辞めなかった理由は?

    基本的に目の前のことしかできないので「お客様が今日もいらっしゃる」と思うと店でフロランタンを焼いているんですよ。仕事で疲れて帰ってきても、娘を見ると「この子のために、お店を頑張らないと」と新しい気持ちが湧いてきたし。とはいえ、40代になって体力がガタンと落ちたのは事実。一日中立ちっぱなしでお菓子を作る仕事と育児の両立は年々、きつくなってきました。

  • そこで夫と話し合い、アルバイトを雇うことにしたんです。これまで自分だけで焼いてきましたが、工程によってはお任せしたり、接客やレジ対応をお願いしたり。そうすると余裕が生まれて大分、ラクになり、人に任せる大切さを知りましたね。余裕があると夫にも優しくなれますし(笑)。

■夫婦で一緒に仕事をする秘訣は「ありがとう」の気持ちを忘れないこと

  • ――ここだけの話、夫と私生活も仕事も一緒というのはどうですか? 率直な気持ちが聞きたいです(笑)。

    ケンカが増えました(笑)。一緒にいる時間が長くなって、それまで「ありがとう」と言っていたことが当たり前になってしまい些細なことでケンカに発展…というパターンです。そして、ケンカをしても、ずっと一緒にいるのでリセットするタイミングがなく気持ちの切り替えができない。だから、できるだけ「ありがとう」の気持ちを持って、きちんと言葉に出すように気を付けています。これからも2人の店を大切にしたいですから。

  • ――長くお店をやりたいと考えていますか。

    正直、今でも毎日葛藤しています(笑)。うまくいかないことだらけの日は「もうダメだー!」と投げ出したくなるときもありますし、お客様の笑顔を見ると「やっていて良かった、これからも頑張ろう!」とも思いますし。これの繰り返しです(笑)。でも、何度も言っていますけど、私は計画性や将来性よりも、今、目の前にあることしかできない。今はお店があって、いらっしゃるお客様がいて、食べた人が美味しいと思えるフロランタンを焼く。この思いだけで、私は店に立っていると思います。

  • ■ワタシのシゴト道具

    調理道具は長年愛用中。使い込むうちに手に馴染んでくるそう。特にこだわっているのはガスオーブン。オーブンは個々によってクセがあるので、長年使って慣れ親しんだ中で特性を生かすものづくりを心掛けているそう。

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