

シゴトとワタシ~私のキャリアノート~第1回「子どもが産まれて、本当にやりたい仕事と出合えた」青木水理さん
女性の人生は大人になるほど選択だらけ。
シゴトを続ける、続けない。結婚をする、しない。出産をする、しない。そして、生き生きとシゴトを語る人をみると「今のシゴトはワタシに合っているのかな…」と考え転職する、しない。
そんな選択を繰り返しながら、今、笑顔でシゴトを続けている女性たちにインタビュー。
第1回目は専業主婦から「おひるねアート協会」を設立し、約300人の認定講師を育てている青木水理さん。子どもが産まれたことで、今の仕事も生まれたという彼女にここまでの道のりを聞いてみました。
取材協力:一般社団法人日本おひるねアート協会
https://www.ohiruneart.com/
青木水理(あおきみのり)
一般社団法人日本おひるねアート協会代表理事。
赤ちゃんの背景に小物を使い作品として撮影する「おひるねアート」を提唱。全国で認定講師を育成し、各地で撮影会を開催するほか、フォトスタジオの経営や企業タイアップでの作品提供も手掛ける。10歳の長女と5歳の長男の母。
動物をかわいくしたいという思いからトリマーに
――そもそも「おひるねアート」とはなんでしょうか?
赤ちゃんに衣装を着せたり、背景に小物を置いたりして絵本のようなアート写真を撮ることです。現在は日本全国で認定講師の育成をし、各講師が撮影会やイベントの開催、教室なども開いています。そのほかにもコーポレートサイトのメインビジュアルやCMで作品を作ることもありますね。
――アート感覚が必要なシゴトに思えますが、美大を卒業されているんですか?
いえいえ、まったく!私は元、トリマーなんですよ。
――えっ! まったく別の畑なんですね!
昔から動物が好きで農業高校で畜産を学びましたが、育てるよりも動物をかわいくしたいという思いが強くて高校を卒業後、専門学校で学び20歳でペットショップに就職。トリマーとして働き始めました。
――「生き物をかわいくしたい」という気持ちが当時からあったんですね。
そうなんです。でも、技術がなかなか伴わなくて、先輩からは結構、怒られていました(笑)。そんな中で唯一、得意だったのが講習会。お客様を集めて簡単なトリミング方法を教える会なんですけど、これは評判がよくて。もともと接客が好きだったので、人に教えたり話したりするほうが楽しかったんですよね。なにより、可愛くなったわんちゃんを見て喜ぶお客様の顔が一番の喜びでした。
――トリマーの仕事は何がきっかけで辞めてしまったんでしょうか。
トリマーになるタイミングで入籍して、21歳で妊娠したんです。トリマーは立ちっぱなしで体力も必要ですし、拘束時間も長かったので妊娠が分かった時点で続けられないと考えて退社。正直に言うと激務だったので、辞められてホッとした自分もいました。
――激務ゆえに出産後、復帰しようとは思わなかったんですね。
復帰できたら復帰しようかな、ぐらいのゆるい気持ちでしたね。でも、長女が産まれると自分が想像していた以上に子どもがかわいくて、離れたくなくなってしまって。すべての興味が子どもにいってしまったんです。それでベビーサインを習い始めて…。
――ベビーサインとはなんですか?
まだ話せない赤ちゃんと手話やジェスチャーを使って話をする育児方法です。これがすごく楽しくて、どんどん夢中になり認定講師の資格を取得。そうしたら、育児サークルのコミュニティをつくっているママ友から「サークルでベビーサインを教えてほしい」と頼まれて教えるようになったんです。
すると生徒数が増えてきて1年半で7クラスほど持つまでに。「そういえば私、トリマーのときも人と触れ合いながら教えるのが好きだったな」と気が付きました。
子どもがかわいいから写真を残したい。この気持ちがいつしか仕事になった
――得意なことって昔から案外変わらないんですよね。そこから、おひるねアートにたどりつく経緯は?
長女が生まれて5年後に長男を出産したのが大きなきっかけです。海外のサイトで子どもを小物を使ってキレイに撮影している写真に触発されて、真似をする感じで撮っていたんですよ。ちょうど、オリンピック時期だったので時事ネタを入れて撮影したり、一枚で世界観を作り込んだり。それを個人ブログで1日1枚アップしていたらテレビ局が取材に来て、注目され始めたんです。
――まるでシンデレラストーリー! でも、なぜ、そんなにうまくいったんでしょうか
毎日欠かさず写真をブログにあげて定着化させたことや、出版社に「写真集にしたい」と企画書を書いて売り込みにもいきました。少し注目度があがった時点で広めていかないとブームなんてすぐ下火になりますから。でも、最初はビジネスにしたい気持ちはほとんどなくて、ただ、自分が作ったものを多くの人に見てほしい思いで動いていたんです。
趣味だったはずが企業からの依頼が増えてビジネスになると気が付いた
――いうならば趣味の粋からビジネスに方向転換したんですよね。その理由が気になります。
本を出版した後、企業からCMのイメージカットとコーポレーションのメインビジュアルでおひるねアートを使いたいと話がきたんです。企業の仕事で予想以上の謝礼が発生して驚きました。それからも、企業や個人から仕事の依頼がどんどん舞い込み、これはビジネスになるんだと気が付いたんです。
――自ら起業したいと思ったわけでなく、需要が増えてビジネスになると気が付いたパターンですね。
そうです。そこから、ビジネスにするにあたり、まず、増える一方の仕事に個人では手が回らないと判断して、日本おひるねアート協会を立ち上げました。
――なぜ、会社ではなく協会を選んだのですか?
私は経営に関しては素人ですから、いきなり会社化するにはリスクがあります。そこで、おひるねアートについていろいろと相談していたベビーサイン協会の理事と共同出資という形で社団法人を選びました。
落ち込む子どもと荒れた部屋を見て「もう仕事を辞めよう」と考えたことも
――なるほど、リスク回避ですね。協会立ち上げの際は、長女、長男ともまだ小さかったと思いますが、育児との両立はどう乗り越えてきたか教えてくてださい。
我が家は夫が子ども好きということもあってかなり協力的。それに夫はシフト制の仕事なので、比較的、子どもと一緒の時間を作りやすいんです。夫の都合が悪いときは一時保育に預けたりしていました。
ただ、一度、本当に仕事を辞めようと思ったことがあって。長女をひとりでお留守番させていたとき、ボヤを出しちゃったんです。どうやら肉まんが食べたくて、せいろをそのまま火にかけてしまったようで。慌てて家に帰ると、落ち込んだ長女に荒れた部屋。子どもに寂しい思いをさせて、かつ掃除もままならない部屋を見て「もう仕事は辞めたほうがいいかも…」と考えました。
――でも、現在もこうやって仕事を続けていますよね。
結局、辞められませんでした。明日も明後日もやるべきことが山積みで「辞めます!」と言える状況ではなかったので。でも、このことがきっかけで働き方を変えました。それまで、人に仕事を振ることができなくて、すべて自分で抱えていたものを周りにお願いするようになって、きちんと休日をとるようにしたんです。協会を立ち上げてから、ほとんど休みをとらずに仕事をしてきましたから。
母親がアート写真で育児の自己肯定感を高めてほしい
――休みをとらずに仕事に向かうのは責任ですか、それとも楽しいからですか。
立ち上げ当初は「理事の私が頑張らないと」という責任が大きかったですが、今は純粋に仕事が楽しい。全国のママたちが子どもをかわいく変身させて笑顔になっている姿を見るのが本当に好きなんです。私自身もその気持ちからおひるねアートを始めたので、気持ちがとても分かるので。
おひるねアートをビジネスにしてよかったと思うのは、撮影会を開くたびに「産後うつだったけれど、撮影会で外に出られるようになった」「育児で悩んでいたけど、子どもを撮影することで、かわいいと思えるようになった」「撮影会で育児の悩みを相談できる人ができた」という声をたくさん聞けるようになったこと。
育児はなかなか褒めてもらえないものです。でも、子どもをかわいく撮影して誰かに「かわいいね」と褒めてもらえれば母親の自己肯定感につながるはず。子どもを楽しみながら育てられるきっかけを私たちが作れればと思っていますし、それが自分の働く意義だとも思います。
――これから青木さんはどんな仕事をしていきたいか教えてください。
おひるねアートをアジア圏に広めたいですね。ほかにも赤ちゃんだけでなく、動物でもアートを作りたいなとも考えています。構想がたくさんありすぎて、まだまだ仕事は辞められそうにありません(笑)。
■ワタシの仕事道具
一眼レフカメラと子どもをあやすおもちゃ。カメラはいろいろ使った結果、使いやすさや仕上がりに満足してFUJIFILM派。メイン機とサブ機(Canon)で約70万円程度。おひるねアートは子どもがおひるねをしていなくてもOK。かわいい表情を撮るためおもちゃは必須。
■ワタシのシゴト年表
20歳 専門学校卒業後、大手ペットショップに入社。正社員でトリマーになる。9歳上の夫と結婚
21歳 妊娠をきっかけにペットショップを退社
22歳 長女を出産。専業主婦の傍ら、ベビーサインの教室に通い始める
24歳 ベビーサインの認定講師資格を取得。自ら教室で教え始める
28歳 長男出産。おひるねアートブログをスタート
29歳 『赤ちゃんのおひるねアート』を出版。テレビ局の取材や企業から仕事依頼がくるように。おひるねアート協会立ち上げ
31歳 写真スタジオ「おひるねアートスタジオ ストーリー」を開業
33歳 現在